つくづく海の似合う男だと思った。
一足先に約束の場所ついていたらしい龍水はだんだんと明るくなってきた水平線を見つめている。
こんな時間にいきなり私を呼びつけたのは他でもない彼だった。

「ようやく来たか、待ちわびだぜ!」
「……私の貴重な睡眠時間を使って何をする気?」

夜明けの海を背景にして龍水のような人間がすることが全く分からない訳じゃないけれど。

「俺を口説け」
「……俺に口説かれろ、とかではなく」
「はっはー、それはほぼ毎日やっているな!」
「確かに」

世界の全てが欲しい龍水は例に漏れず私にも「貴様が欲しい!」と言ってくる。
誰彼構わず言うと知っている分、嬉しいけれど特別感は無い。むなしさにも慣れっこだ。

「今ここで、貴様に俺を口説くチャンスをやる!やってみろ!」

早朝からこんな無茶ぶりをされてしまっては敵わない。
とはいえ、他でもない龍水からのお願いを無下にできないのは惚れた弱味というやつなんだろう。

「分かった。分かったよ……えーと、龍水」
「ああ」

せっかく腹を括ったのに、一秒で頭が真っ白になった。
嗚呼、はこっちの台詞だ。
いつもみたいに絶対自分の思い通りになると確信しきった顔でいてくれたら良いのに。
目の前の彼ときたら、私が言うのはおかしいけれど、何かをいとおしげに見るような目をしているのだから。

「龍水はさ、私とは全然違う人間だよね」

私が海底で暮らしているとしたら、龍水は陸どころか大気圏を突き抜けて宇宙まで行ってしまいそうな程遠い場所にいる。そういう人間だ。

「だけど龍水は、私にも見えるような所にいつもいてくれた」

星のように遥か彼方にいるかと思えば、灯台のようでもある。千空と同じように、龍水もまた私たちの進むべき道を照らしてくれる灯りのような人だった。

「龍水が導いてくれたから、私も迷わずにここまで来られたよ」

口説くと言うより学校の卒業式の謝辞のようだ。
だけど、龍水のように自信満々に「私のものになれ!」とはとても言えない。だったら感謝を伝えてこれからも末永くよろしくと握手でもして帰るのが一番良いのではないかと思った。
それと、あと一つだけ。これが精一杯のわがままだ。

「これ、貰ってくれるかな」

龍水に渡したのは、ネックレスにして身に付けていた指輪。
こんな世界でもお洒落の一つくらいしてみたいと、カセキに頼み込んで手伝ってもらいながら作ったものだ。

「これは……貴様が肌身離さずつけていたものだ。良いのか?」
「いーよ。私が今日ここで龍水を口説いた証。できたら龍水に持ってて欲しい」

龍水は「そうか」と言って、指輪を受け取ってくれた。
それだけでじゅうぶん、我が生涯に一片の悔いなし!というやつである。

「これで俺もとうとう貴様のものになったという訳か」
「いや良いよ、そんな無理しなくて」

龍水というスケールも器も大きすぎる人間の人生にそんな縛りを設けるつもりはない。

「龍水は思うままに航海するのが好きでしょう。私もそういう自由な君が、良いと思ってる」

一段と強く風が吹いた。
昇りたての朝日が私たちを照らしている。

「俺はまだ貴様のものにしてもらえないのか?口説かれて指輪まで渡されたというのに」
「ええ……」

その言い方だと、龍水がまるで私のものになりたいみたいじゃないか。こんなこと、あって良いのか。

「フゥン、さては貴様も欲しいのだな?この龍水からの証が!」
「えええ待って待って待って、そのような贅沢は」
「遠慮するな」

龍水が近付いてきたかと思うと、顎を掴まれて上を向くことを余儀なくされる。これはいよいよマズい。
元気よく名前を呼ばれて、姿勢を正すしかなかった。

「俺が道しるべだと言うのなら、これからも必ずついて来い。自由な俺を好いていると言うのなら、俺が何処へ行こうと貴様は俺のそばを離れるな」

なんかもうめちゃくちゃだ。めちゃくちゃだけど、めちゃくちゃ凄いことを言われているのは辛うじて分かった。

「誓えるか」
「な、だ、誰に?フランソワ?海……?」
「無論、俺にだ。俺も貴様に同じ事を誓おう」

もしかして、どこかで待機していたフランソワがこのタイミングで出てきて「では、誓いのキスを」なんて言うんじゃないだろうか。
私の脱線した妄想の方がまだ現実味を帯びていた。

「返事は」
「ち、誓います」
「良いだろう」

握手どころでは済まなくなってしまった。
まるで洋画みたいに綺麗に切り取られたワンシーン。
天候から場所から、何もかもを味方に付けたこの男から逃げる選択肢など、最初から存在しなかったのである。



2020.4.12 世界は君のもの


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